初代生徒会長の京都だより

 はじめまして。丘珠ベース初代終身名誉生徒会長、同志社大学神学部1年の泉田黎弥です。

 

 私にとって丘珠ベースは、「塾」として意識的に通う…というよりも、むしろ「生活の一部」でした。私は中3になる直前から今野先生(当時は家庭教師)の指導を受け、高校入学後は、先生が家庭教師業から塾に転向されるということで、生徒兼スタッフとしてそのお手伝いをしてきました。おかげで本来は接点すら無かったはずの年下の中学生たちと出会うことができ、彼らと共に受験生活を乗り切り、たくさんの素晴らしい思い出をつくることができました。今春から高校生となった彼らが、今後どのような進路を選択し、それをどのようにして実現していくのか…私にとっては大きな楽しみの一つになっています。

 

 大学受験においては、多くの受験生は第一志望、第二志望、第三志望…と、複数の大学を受験するのが一般的です。しかし、私の場合は大学進学を志した当初から「同志社大学神学部しかない!」と思っていましたので、同志社大学の出題傾向を踏まえた対策に「一点集中」し、無駄なく効率的な受験勉強をすることができたと思っています。

 

 ただ、今になってみると、この選択が必ずしもベストであったとは思えません。私大文系を受験する場合、受験科目は英語・国語(現代文・古典)・地歴または公民の3~4科目に絞られます。文系でも数学・理科を含めて最大で7科目程度を受験する国公立大に比べると、どうしても勉強の範囲が狭まってしまいます。高校時代の私は数学と理科に対する苦手意識が強く、正直それらを避けようとしてしまった感は否めません。大学で「学問」と本格的に向き合い始めてから、やはり「基礎教養」として文理を問わず一通りの「型(かた)」を身に着けておくことは非常に重要であると、あらためて痛感させられています。中学・高校生の皆さんには、是非ともここはよく考えてみて欲しいところです。

 

 受験とは、一言で表現すると「強制力」であると考えます。強制されるがゆえに、最後まで緩まずに勉強を続けられるのだろうと思うのです。ただし、受験勉強(特に大学入試)は決して楽なものではありませんから、「外からの強制力」だけではなく「内からの強制力」が無ければ続けられないものです。そして「内からの強制力」は真に純粋な好奇心から生じるものであり、私にとっては歴史(特に現代史)を通して現在の世界(国際情勢)を理解したいという強い希望でした。

 

 また、丘珠ベースでの経験は、現在の大学での学問にも大きく役立っています。大学では、試験とは言ってもその多くは論述式であり、提示された論点に基づきレポートや論文をまとめる機会も多く、研究のテーマを自分自身で設定しなければならないという意味でも、高校までの「勉強」とは全く勝手が違います。まさに「内からの」学びが求められるのです。

 

 丘珠ベースには、これら内外からの強制力をバランスよく引き出してくれる今野先生がいます。ホームページ内の『授業の進め方』を見ると、社会科について「教科書レベルを超えた高度な論点を生徒に投げかけることもあります」との記述があります。このことから、特に先生は「内からの強制力」を引き出すことに力を入れていることがお分かり頂けるかと思います。

 

このようにして今野先生は、私たち生徒の中に芽生えた「内からの強制力」をユニークな授業を通じて大きく膨らませつつ、季節ごとにギミック(イベント)を織り込み「外からの強制力」をカレンダーに委ねることで、「ふと気付けば受験生活が終わっていた」頃に「もっと勉強したかったなぁ~」という余韻を残して卒業させてくれるのです。本当に、丘珠ベースらしいなぁ~、丘珠ベースで良かったなぁ~と思います。

 

 私は現在、神学を専攻し、宗教について学んでいます。世界で起きている様々な事象を宗教というアプローチで理解するのが目的ですから、中でもイスラーム・キリスト教・ユダヤ教についての勉強には特に力を入れています。これらは一見すると、日常生活ではあまり役立つことがなさそうに見えるかもしれません。だからこそ、自分自身が大学という場にいる「今しかできないこと」なのだと思います。

 

 受験は、その後の人生で経験することになる「壁」の数々を打ち破るために、十分な「基礎体力」を身に着けることのできる絶好の機会です。私もこの先、社会に出てからどのような苦労をすることになるのか…そして、現在の学問が自分と社会にどのような形で還元されていくのか…学生になったばかりの自分にはまだ予想もできませんが、自分の「学び」は一生のテーマとして、これからもずっと続いて行くに違いありません。

 

2017年9月 京都にて

 

 

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2017年3月 空港まで見送りに来てくれた中3生(当時)のみんなと一緒に